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長野地方裁判所諏訪支部 昭和36年(わ)75号 判決

被告人 牧山孝三こと李孝燦

大一一・三・一四生 金属屑商

牧山松子こと裴松子

昭八・五・二〇生 無職

主文

被告人等を懲役二年に各処する。

但し被告人等に対し夫々本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

押収に係る包丁(ステンレス製)一丁(昭和三六年押第三三号の四)を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人李は、朝鮮に生まれ、昭和一七年徴用で本邦に入国し、熊本県荒尾市で炭坑夫として働き、終戦後東京都立川市で進駐軍労務者として生活した後、昭和二三年夏頃知人を頼つて諏訪市に来たり、飴製造販売を始めとし、金物商、衣料行商、靴販売、パチンコ店経営、金属屑商など職を転々とし、昭和三六年六月頃は金属屑商の傍ら知人の経営するパチンコ店の仕事を手伝つていたもの、被告人裴は、東京都港区において生まれ、その後家族とともに甲府市に転居し、昭和二四年三月新制中学を卒業し、翌昭和二五年一一月、満一六歳にして被告人李と結婚し、同被告人との間に二男一女を儲け、家事に従事してきたものであるが、被告人両名は、昭和三五年五月頃被告人裴の叔母玉山とし子から返済期限同年八月までの約束で一〇万円を借受け、知人に転貸したが、同人から返済を受けられず、再三期限の猶予を乞い、昭和三六年六月末まで延期してもらつたものの、その期限も迫まつて返済の見通しがつかず苦慮していた矢先、被告人裴は同年四月頃北鮮帰国者見送りのため、バスで新潟に赴く車中、古物商平田喜一郎又は玉田一郎こと潘載基(当三二年)と知り合い同人に金策を依頼したところ、次第に同人から甘言をもつて誘惑され、遂に同人と不義の関係を結ぶに至つた。

一方被告人李は、その頃前記のように知人の経営するパチンコ店の仕事を手伝つていた都合上深夜帰宅することが多かつたが、被告人裴が度々夜遅く帰宅することを子供から聞くに及んで不審に思い、同年六月二七日夜被告人裴を強く詰問したところ、同被告人は裴との不倫関係一切を告白し、泣いて自己の非を詫びたが、被告人李は予想外の事態に激昂し、興奮のあまり被告人裴を殴打難詰し、両被告人とも眠られぬ一夜を明かしたのであるが、翌六月二八日朝被告人李は、被告人裴を同道して潘と会い同人に不倫関係に陥入つた理由を問い質し、話の次第によつては同人の顔面を刃物で切りつけて傷痕を残し、思い知らせてやろうと決意し、刺身包丁一丁(昭和三六年押第三三号の五)を買い求め、岡谷市下浜の潘の勤め先を訪ねたが、同人が不在で而かも行先きも判明しないため、已むなく帰宅し、この上は子供達が成人するまで別居し出稼ぎして暮そうと決意し、同月三〇日午前衣類を処分して旅費を捻出するため、知人の星山春次郎方を訪ね、同人にこれ迄の事情を打ち明けたところ、同人から慰留され、潘に電話で連絡した上明日潘と話合うことを約束されたので、一旦納得して所携の前記刺身包丁もその場に遺棄し、後事を同人らに託して帰宅した。然し乍ら、被告人李は、潘に対する激しい憎悪の念がどうしても断ち切れないとともに、被告人裴が既に夫である被告人李に対する夫婦の愛情を喪い、潘に好意を寄せて不倫関係に陥つたのではないかとの疑念も払拭できずに煩悶し、潘と被告人裴の意思如何によつては潘と何等かの話合いをつけた上、身を引くことも已むを得ないが、裴の帰宅していることが判明した以上、一刻も早く潘と会つて事を処理しようと考え、同日午後一時頃肩書住居において、被告人裴に対し、「潘が岡谷にいるというがお前どうする。潘にキツスするようにみせかけ潘の舌を喰い切つて唖にしてやれ。」と申向け、同被告人の「そんなことはできない。」との返答に、「それではどうする。」と声高に詰問したところ、同被告人は夫が星山に事情を打明け潘との不倫関係が世間に知れてしまつたことに絶望し、且つ自分をあざむいて誘惑した潘に対する怒りと、夫に自分の真意を知つてもらいたい一途な気持から、報を刃物で刺したうえ、自分は自殺して夫に詫びるほかないと決意し、「刺すなら刺せる。」と答え、

茲に被告人等は潘に対し被告人裴との不倫関係につき詰問したうえ、潘の応答によつては潘を刃物で刺してやろうと共謀の上、被告人李において、刃渡り約一七センチのステンレス製包丁一丁(同号の四)を買い求めたうえ、これをシヤツの下に隠し持ち、被告人裴とともに岡谷市下浜荒川商店附近で潘の通りかかるのを待ち受けるうち、間もなく仕事から帰つてきた潘を認めて被告人李は同人に対し、「貴方の家で話したいことがある」と申向け、潘の同居人である高橋こと諸葛日奉に立会を依頼したうえ、同日午後四時三〇分頃同市湊区花岡五、九三四番地山岡慶治方二階の潘の居室において、被告人両名と潘及び諸葛が同席して、話合いに入つたが、被告人李は潘に対し当初から、「お前はどうして俺の家内に手を出したか。俺のみているところで家内とやつたことをしてみろ。家内も子供もお前にやるから今迄かかつた結婚費用を全部出せ」などと繰返し同人を激しく難詰したが、潘が話すほどにいきり立つ同被告人の気勢に押され、悪るかつたと謝まるほか殆んど応答しなかつたことに憤慨し、所携の前記包丁を取り出して同人に示しながらなおも返答を迫つたうえ、被告人裴に対し「これで刺してしまえ。」と申向けて右包丁を手渡したが、同被告人が包丁の柄を両手で握つたまましばし逡巡しているのを見て、「お前刺せなければ俺が刺す。」といつて包丁を同被告人の手から取り上げようとするや、身の危険を察知した潘が身体を乗り出して被告人李の手を押えんとしたその瞬間、意を決した被告人裴は、矢庭に潘を死亡せしめることになるかも知れないことを認識しながら敢えて潘の腹部めがけて両手で柄を握つたままの右包丁をもつて一回突き刺し、同時に被告人李は暴行の意思をもつて前のめりとなつた潘の背後から同人の首を左手で締めつけたが、傍で成行きを見守つていた諸葛が右包丁を被告人裴から取り上げ、更に潘が被告人李の手を振りほどいてその場より逃がれたため、潘に対し入院治療一〇三日通院治療一二日間を要する長さ五センチ、巾一センチ、深さ後腹膜から腹腔に達する左側腹部刺創及び右拇指切創左小指切創等の傷害を与えたに止まり殺害の目的を遂げなかつたものである。

(証拠の標目)(略)

なお本件公訴事実中、被告人両名が場合によつては潘を殺害することになつても已むを得ないと考え、共謀の上判示所為に及んだ、との点について判断するに、被告人李については、前掲被告人両名の当公判廷における供述及び第七回公判調書中の各供述記載部分、検察官、司法警察員に対する各供述調書、潘載基の当裁判所に対する証人尋問調書、第二回公判調書中の証人諸葛日奉の第五回公判調書中の証人星山春次郎、同裴永鎮の各供述記載部分を総合すると、次の事実が認められる。

一、被告人李は、潘に対し憎悪の念を抱いていたことは否めないが、同被告人は、被告人裴の不貞行為に激しい憤りを覚え、同女を同道して潘に会い、不倫関係を問い質し、その際の同女の言動によつて自己に対する愛情の度合を確めたいという気持が強かつたもので、判示認定の六月三〇日午後一時頃肩書住居における被告人両名の問答は明らかに傷害の認識しかなかつたことを示していること。

一、被告人李は第三者の仲介による円満な解決を望み本件犯行当日の午前中星山らにその斡旋を求めており、犯行直前にも潘と同室の諸葛日奉に一緒に行つて立会つて貰いたいと懇請し、その立会を得て潘との話合いに入つており、未必的にしろ殺害の目的を有するものが、その場に第三者の立会を依頼するが如きことは通常考えられないこと。

一、裴に会つてから被告人李が包丁を示すまで相当な時間が経過しており、且つこれを潘に示してから後被告人裴が判示のとおり潘を突刺すに至る迄の経過を傍に居た諸葛が被告人等の行動について「よしな」と云つた以外は終始その成行を見守つていた位にその場の空気が殺気立つようなこともなく、唯被告人李が潘に対し発した激しい種々の言葉も、潘の不倫な行為を責める憤りから出たもので、真実同被告人がこれを実行するとは被害者の潘にも、立会人の諸葛にも受け取られていなかつたこと。

一、被告人李は、判示認定の如く、被告人裴が潘を包丁で刺すと殆ど同時に、前のめりになつた潘の首を左手で締めただけで、諸葛日奉が被告人裴から包丁を取り上げる前に、右包丁をもつて潘に対し更に刺すことも、又重傷を負つた潘を捉えて二撃、三撃を加えることも容易と認められる状況であるにも拘らず、それ以上かゝる所為に出ることなく、逃げる潘を眼前にしてこれを追うことすらしなかつたこと。

一、被告人李の右所為は、被告人裴が潘を包丁で刺した直後と認められるが、被告人両名の所為は時間的にほゞ同時であつて、被告人李は潘が身体を乗り出した機会を捉えて突嗟に利腕でない左手を同人の首に廻わして締めつけたものと認められ、前記認定の如く被告人李がそれ以上何らの暴行にも及んでいないことを併せ考えるときは、被告人裴の右所為には後記認定の如く瞬間的な未必の殺意を認めることができるが、被告人李において被告人裴の右所為に呼応し暗黙のうちにも意思相通じて潘を死亡せしめることになるかも知れないことを認容して右所為に及んだものとは到底認め難いこと。

以上の認定事実によれば、被告人李は、事前においても、判示暴行に際しても、単独又は被告人裴と共謀して、場合によつては潘を殺害することになつても已むを得ないと考え、判示所為に及んだとは認められない。

従つて被告人李の前掲検察官、司法警察員に対する各供述調書及び司法警察員に対する自首調書中殺意に関する供述記載部分、潘載基の当裁判所に対する証人尋問調書中前掲供述記載部分は、いずれも右認定事実に照らし措信し難い。

又被告人裴については事前に同被告人が被告人李と場合によつては潘を殺害することになつても已むを得ないとの認識をもつて同人を刃物で刺すことを謀議したものとは認め難いことは前記認定事実によつて明らかであり、更に判示認定の如き被告人裴が潘を刃物で刺す決意をした動機と、被告人両名の前掲検察官、司法警察員に対する各供述調書並びに当公判廷における各供述及び第七回公判調書中の各供述記載部分によれば、被告人裴は事前に如何なる刃物を選ぶかは全く被告人李の選択に委かせて関知せず、潘の居室において包丁を被告人李から手渡されるまでの潘の如何なる部位を刺すかすら認識していなかつたことが認められることを併せ考えても、被告人裴が現場に臨む前に未必の殺意を有していたとは認め難く、従つて被告人裴の司法警察員に対する各供述調書中前掲供述記載部分は措信し難い。然し乍ら被告人裴の判示認定の如き包丁の柄を両手で握りしめ、刀渡り約一七センチの包丁を前屈みになつてランニングシヤツとワイシヤツを着ていただけの全く無防備の潘の左側腹部めがけて真直ぐ突き刺し判示の重傷を負わせた所為は、兇器が刃渡り約一七センチに達する包丁であること、刺した部位が医師土手内守人の診断書及び同人の司法警察員に対する供述調書によれば、兇器が腸その他の臓器に触れるときは生命に危険を及ぼす虞れのある側腹部であること及び潘の右刺創の程度は出血多量、手術中の血圧悪化により生命に危険を感ずる状態であつたことが認められること、又突き刺すときの被害者の姿勢服装が被告人裴の攻撃を避け難い状態であつたこと等から判断して、たとえ一回だけ刺す意思であつたとしても、被告人裴が潘を死亡せしめることになるかも知れないことを認識しながら敢えて行つたものと認めるに十分である。従つて被告人裴は未必的殺意をもつて右所為に及んだというべきである。

以上の次第であるから、被告人両名は、潘に対する傷害の故意をもつて共謀の上、被告人李は潘の首を左手で締める所為に出で、被告人裴は瞬間的に未必的殺意をもつて所携の包丁で潘の左側腹部を突き刺したものであつて、結局被告人両名の右所為は、刑法第二〇三条第一九九条の殺人未遂罪の共同正犯であるが、被告人李は右犯行当時傷害の故意をもつていたにすぎず、相被告人裴の殺人未遂行為は被告人李の予期しないところであるから、同被告人に対しては同法第三八条第二項により重い殺人未遂罪の責任を問うことはできないというべきである。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人李の潘に対する暴行は、同被告人において潘が飛びかかつてきたものと誤認して防衛行為に出たものであつて、誤想防衛が成立する旨主張するが、右暴行に至るまでの判示認定の如き同被告人の言動並びに潘の態度からして、潘が身体を乗り出したのは、被告人潘から包丁を取ろうとした被告人李の言動を制しようとした為であることは同被告人において十分認識し得たというべく、同被告人において潘が突如攻撃を加えてきたものと誤認するような事情がなかつたことが明らかであるから、右主張は理由がない。

次に弁護人は、被告人両名は本件犯行当時心神耗弱の状態にあつた旨主張するが、前掲証拠の標目摘示の各証拠を総合すると、本件犯行当時被告人両名が精神的にも肉体的にも衰弱し、興奮し易い状態にあつたことが認められるが、被告人両名の本件犯行前後の態度行動はかなり理性的で合目的性をもつて行われており、被告人両名の検察官、司法警察員に対する各供述調書を検討しても、被告人両名の本件犯行についての供述は理路整然として詳密であり、殺意に関する部分を除いてその供述には一貫性があることなどから判断して、被告人両名とも本件犯行当時事物に対する理非弁別の能力が通常人に比して著しく減退した状態にあつたものとは認められないから、弁護人の右主張は理由がない。

(法令の適用)

被告人両名の判示所為は刑法第二〇三条第一九九条第六〇条に該当するところ、被告人裴については所定刑中有期懲役刑を選択し、同法第四三条本文第六八条第三号により未遂減軽をした刑期の範囲内において同被告人を懲役二年に処し、被告人李については、同被告人は本件犯行当時傷害の故意をもつていたにすぎず、共犯である被告人裴の殺人未遂行為は、被告人李の予期しないところであつて、軽い犯罪事実を認識して重い犯罪事実の結果を発生せしめた場合に当るから、同法第三八条第二項により軽い傷害罪の刑に従つて処断することとし同法第二〇四条、罰金等臨時措置法第二条第三条に従うこととし、所定刑中懲役刑を選択し、所定刑期の範囲内において同被告人を懲役二年に処する。

而して被告人両名は本件犯行によつて被害者潘に対し入院治療一〇〇日を超える腹部刺創の重傷を負わせたものであつて、話合いを継続して事態を解決する余地がないわけではなかつたのに感情の奔るがままに本件犯行に及んだ被告人等の犯情は決して軽いとはいい得ないものであるが、翻つて本件犯行の動機原因を考えるならば、被告人裴において思慮分別が足りなかつたとはいいながら、僅か一六歳にして結婚し社会的経験も未熟な被告人裴を人妻であることを知りながら金融の便宜を与えることを口実に情交を強い不倫関係を結んだ被害者潘の反道徳的行為にも責められるべき点が多く、被告人李はこれが為長年三人の子供を中心に営んできた平和な家庭生活を破壊され、これ迄疑うことのなかつた妻の愛情すら信じ難く、妻から告白された晩から数日間その善後策に苦慮し続けてきたことは判示認定事実によつて推察するに十分であり、又被告人裴は判示認定の如く潘との不倫関係が世間に知られてしまつたことに絶望し、これに自分をあざむいて誘惑した潘に対する怒りと夫にその罪を詫びたい気持が交錯し、思案にあまつて潘に対し判示所為に出るほかないと決意したもので、犯行後被告人両名ともその非を悟つて直ちに自首していることなど、被告人両名の心情と本件犯行を決意するに至つた経過には憫諒すべきものがあり、被告人等は本件犯行後円満な家庭生活の再建に努力しつつあり、被害者もまた健康を回復しその行為を悔いて被告人等に対し寛大な処分を望んでいることその他諸般の情状を考慮し、同法第二五条第一項を適用して被告人等に対し夫々本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、押収に係る包丁(ステンレス製)一丁(昭和三六年押第三三号四)は本件犯行に供したもので犯人以外の者に属しないから同法第一九条第一項第二号第二項によりこれを没収し、訴訟費用は本件審理の経過に照らし、被告人等において貧困のため納付することができないと認められるので、刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用して被告人等には負担させないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 馬場励 中川敏男 竹田稔)

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